2025-11-05 18:50 JST
Iyo archive: 情報バリアフリーを目指す
画面タッチじゃなく機械的にボタンを押す携帯電話の時代に登場したショートメッセージはやがて国ごとの電話会社からグローバルテック開発の商品に置き換えられ、その国特有のショートメッセージ(SM)は廃れてしまいました。SM 誕生から廃品となるまで20年くらいでしょうか。この社会では消えてしまったモノのことはメディアがほとんど取り上げません。世界が変ってしまったと感じています。
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ここはIyo archive からこちらへ来られた方々へのメッセージです。
私達は紙(ペーパー)や冊子(ブック)あるいは、電子機器(エレクトロニック デバイス)の何れかを問わず読書を通じ、
Iyo の人々が語る言葉 ーナラティブーを伝えることを先ず目標にしています。AI の普及が加速する世界で、情報アクセシビリティ(accessibility )を高めるためです。メジャーなメディアは取り上げない Iyo の情報に深くアクセスできるようにするため。
知りたいと思っても情報が見つからない、情報にアクセスできないで困っている人達へ。AI ってどうなの?と思っている人達へ。
さらに社会がまだ対応しきれていないディスレクシア(Dyslexia )のためのバリアフリーをも目指します。
多様性: 数字・デジタルがつくる社会の中で
このところ多様性という言葉がいかにも広い心で世界の多人種とお付き合いするマナーのよう利用されているように聞こえることがあります。組織のなかで管理職に女性の占める比率を高めるような使い方もあるようですが、もとは英語のダイバーシティ(diversity)でしょう。
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ここでは地球規模の大きさで生物の diversity について、歴史の時間軸も数億年単位で長い時間で多様性を考えてみましょう。
地球には数え切れない多種類の生物がいます。地球が生成され、ここでいろいろな生き物が次々と生まれたんですね。生命誕生のプロセスは宇宙の不思議な解明できてない謎です。さて地球上の生物全般を見渡し、恐竜がいた時代に遡ってみます。子供らにも人気で親子で行く恐竜博物館や恐竜の遺蹟がたくさん発見された地域にできた大学などがあります。
地上に恐竜が誕生した頃、地球はパンゲアと呼ばれる一つの大陸でした。パンゲア(pangaea)とは、ギリシャ語の全(pan)と大地(gaia)からできた言葉です。さて、この恐竜を祖先として鳥類が誕生したことが知られています。一つのパンゲアが幾つもの大陸 — 現代では、ユーラシア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、オーストラリア、南極 — に分裂する過程 と、恐竜の種類が増えていく過程のタイムラインは重なっています。一つの大きな大陸が分裂移動していくのと生物多様性は重なっているようにみえます。さてこのような恐竜や地球の歴史を化石年代などの事実をもとに語るためには大きな単位で年数をかぞえなければなりません。
地球の誕生はほぼ46億年前、生命の誕生はほぼ35億年前と言われます。数字で億と言われても身体的にはわかりにくいのでお金の単位に置き換えてみると、一千万円をコンビニ袋に入れて秤に載せると1キログラムです。これから一億円は10キログラム。100億円では、1トンに相当します。ここまで大きくする必要はなく、地球の年齢を基準にするくらいから考えていきましょう、
地球誕生を4600ミリオン年前とすると、恐竜が誕生したのは245ミリオン年前と言われています。ミリオンは百万なので、恐竜誕生は2億4千5百万年前です。このように日本で使う漢数字と欧米で使う数字の肌感覚はどこか根本的に違うように感じませんか。これは多様性のひとつの例でしょうか。1000 をベースにしているのが欧米型で、漢数字と違います。デジタル社会は欧米型になったのでこれから多様性のひとつとして漢数字を使っていくためには脳内変換の手間が要ります。
昔々のことですが学生時代、英語の授業で数は日本語に訳さずそのままでいくという先生がいたことを思い出してしまいました。中学生のときから数も日本語に翻訳する授業だったので、ちょっと違和感がありました。しかし、米国人と日常的にやり取りをするような環境に染まってみると数の表現は英語のままでいい、いやコンピュータの世界では翻訳しない方が自然に感じるようになりました。
ちなみに植原和郎『人類の進化史/20世紀の総括』講談社学術文庫の25頁の表を英語のミリオン単位にすれば、猿人が地上に登場するのは5.3ミリオン年前で、サピエンス人は0.01ミリオン年前のこととなります。恐竜、猿人、サピエンス人を登場順に並べると、恐竜:245ミリオン、猿人:5.3ミリオン、サピエンス人:0.01ミリオンとなります。これを日本語の数詞による2億4千5百万、5百3十万、1万という表現と比べてみるとそこに数感覚の多様性の本質が感じられるのではないでしょうか。
読書とフォント: 情報バリアフリーのために
文字の読み書きに不得手な人々にも読み易いようにデザインされたフォント「UD Digi 教科書 NK 」を指定しています。UD は、ユニバーサル・デザインの略です。
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このフォントのことは2024年に小学館から発刊された文芸雑誌「GOAT」の巻末の記事「特集 読書バリアフリーをめぐる旅」で知りました。読書の障害になっているのは文字を目で追うことはできるが、文章として理解できない人々のための読書支援ツールのこと、2019年6月に施行された「読書バリアフリー法 」など参考になりました。
これまでの紙の本が、いかに健常者の読書に向けて最適化されたものであったかという事実を考えさせられました。もっと対象を健常者であることを前提にした社会から変えてゆかなければならない。
松山市 に住む高齢者 が6人ほど集まり、1995年に開催された「第1回 愛媛ネットワークセミナー 」を始めた当時の関係者等の話を、後世の人々へしっかり記録として残したい。ついては、それ等を自分等の周辺の関係者から集め纏めたいという相談会があったのは、2025年の4月21日月曜日の正午。その場所は、日本銀行松山支店 から南へ歩いて5分ほどの千舟町高岡線ちふねまちたかおかせん の通り交差点近くにあるビル2階のガラス張り静かな喫茶店の一角だった。
その場で、この集まりのきっかけが平成7年(1995)に開催されたセミナーだったと幹事から次の資料を手渡された。そこには出席予定者とセミナー終了後の懇親会への参加の有無が印刷されていた。懐しい名前が順に並んでいて、その順番にも意味が読み取れるような気がし、紙の印刷をデジタル・シート化し、その HTML ファイルをリンクしておきました。(下のリンクはちょっと重いため、w3spaces.com にも簡略にしたのを転載しました。)
「第1回愛媛ネットワークセミナー」平成7年3月4日(土)13:30〜16:45
愛媛大学工学部4号館 (情報工学棟1階18番教室)
出席者名簿
Shiki team の7人のヒントは、下のキーボードの中にあります。マウスポインタを近付けてください。
S
Y
← ← I O
F ↓ H
B → M
↑
K ↑
I:入力から O:出力は、お隣りなのにぐるっと回って IYO。
オレンジ色の文字は何でしょうか?Shiki team メンバーの名前につながってます。探してみてください。
Shiki team の最初の出会いは、あるカナダ人が隣りの大学のフロリダ出身の米国人を通してメールを私に送ってきたことからはじまったといえます。そのカナダ人と Iyo との縁は、彼の奥さんが城辺町出身だったことがはじまりです。
それからは運命の糸に引っ張られたようにメンバーが集まってきた。英語 Haiku で Iyo をHaiku Kingdom にするため辺境の地にも出向いた。コンスタンチノープルの時代が残っているようなイスタンブールの裏町にひきずりこまれた男やトルコのシリアとの国境近くの空港で自動小銃を向けられたりとかは、まだ序の口だった。
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Shiki team の運命については、Shiki team ものがたりに書きつつあります。
キーボードの QWERTY 配列 を思い浮べてください。
上図のキーボードでみると I から反時計回りに
I → Y → O へと指が流れまた、 I に戻るようにできる。そもそも I から始まるものは O で終るものなんだけど。だって入力 (I nput)と出力 (O utput)でしょう。最近は、生成 AI とやらでこの入力データというかパラメータがビリオン(10億)以下の桁くらいからはじまったのが、その単位が二桁も三桁も増えて(1 ) グルグルグルグルもう目が回るよ。
Quid via AI Index Report (2025); U.S. Bureau of Labor Statistics (2025) – with major processing by Our World in Data
生成 AI の英語の略称は 「gen AI 」 とか「Gen AI」。日本語ではうまく短縮できないか。Gen AI の日本語ウィキペディアを参照すると、「生成的人工知能」、「生成系人工知能」、「生成型人工知能」、「生成人工知能」、そして「生成 AI」とその表記が揺れていることからアルファベットを使用しない短縮形はまだない。中国語のウィキペディア「生成式人工智能 」でも最短略称は、GenAIまたはGAI、とアルファベット。
生成的人工知能、生成式人口智能、こられの IT 最新技術を解説するウィキペディアでは、日本、中国ともに技術用語が英語のまま使用されていることが目に付く。1980年代の頃だがパーソナルコンピュータが普及し、インターネットが社会に浸透しそうになって外来のコンピュータ用語を日本語化しよう試みる運動があった。1970年頃から数学の応用としてコンピュータを使いはじめて数学者が中心だった。例えば、プログラムを算譜と翻訳するなど。楽譜、音符をイメージしてもらうとわかるかもしれない。ただ、この運動はいつのまにか縮小、消滅した。
次々と英語圏で最新IT技術が登場し、翻訳が追い付けなくなったのが遠因。と、私はおもっています。
ところで IT 基本法が成立したのはいつか、 覚えてますか?
写真リンク先:首相官邸歴代内閣
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これは、20世紀最後の年だった平成12年の11月21日 でした。
日本政府が「5年以内に世界最先端のIT国家となる」ための
「e-Japan戦略」を決定したのは21世紀になってすぐの1月22日でした。
ちなみに、平成12年の普通国債残高は368兆円でした。今、令和7年では1,000兆円を超えています 。1,129兆円です。金利は平成12年では 2.7 パーセントでしたが、今は 0.8 です。金利がこれからどうなるかは気になるところです。
ちょっと遅れたけど、ごめん m(_._)m IYO 頑張るよ!
パーソナルコンピュータ雑誌を中心に見る1970年代後期〜の世界
1970年代になった頃のこと。私にとってパーソナルコンピュータ(PC)は触ったことも見たこともない代物だった。はじめてパソコンに触れたのはシャープ製の簡易キットの形で販売されていたMZ-80Kを1979年に購入したときだった。それまでも当時の仲間には日本電気製のボード型のマイコンを購入したものなど数人いたが、自分はほとんど関心が無かったというのが正直なところだった。ただ米国でマイクロプロセッサが製造されはじめていたことは知識としては持っていた。
何故、私は中学、高校、大学と電子計算機に関心を抱かなかったったんだろうか?
その問にできるだけ答えてみる。
雑誌アスキーをはじめて購入したあたりの事をきっかけにしながら話してみます。
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アスキーの名前はパソコン好きなら知らない人はいないはずだ。特に初期パソコンマニアならそのはず。しかし今になっていつ頃出版されはじめたかを覚えている人はいないんじゃないだろうか。
私もいつ頃この雑誌を本屋で見かけたのか正確には思い出せない。古雑誌はほとんど捨ててしまって本棚を見ても記念に残しておいた「エンサイクロペディア・アスキー」がvol.2からvol.4まであるだけだ。Vol.1 はない、vol.2の出版日は1979年4月になっている。この日付けの頃は神戸の垂水に住んでいたがパソコン雑誌を読んだり買ったりしたことはなかった。そのため、これは1979年に購入したものではないと確信をもって言える。このエンサイクロペディア・アスキーvol.2はその中味をよく見ればわかるのだが雑誌アスキーの1978年分の記事をいくつか選んで編集し、まとめたものであった。表紙の裏をよく見ると、vol.2の出版日のところに第1版第2刷となっていたことから1980年頃、松山に住むようになってから何かのために手に入れたものだろう。
記憶を探っているうちになんだかつまらん口上がながくなってしまった。中味を見てみよう。
この E.P.A vol.2 を開けば、いきなり、トップ記事にはカラー3頁がつづく。そっけない編集だが、コンピュータグラフィックスがパーソナルコンピュータでもきるようになった、ということを視覚に訴える編集になっている。APPLE II による3次元グラフィックスもある。パーソナルコンピュータの名前として、PET、TANDY、APPLEが出ている。国産はまだなく、IBMの名前もない。
この vol.2 の内容は次のようになっている。
マイコン・グラフィックス
海外マイコン情報
GAMES
周辺・インターフェイス
BASIC品定め
システム・ソフト
レーザー・シンセサイザー
NEW・LSI
新製品情報
読物・連載
データ・ベース
アマチュア無線
ハードウェア
TinyBasicNewsletter
内容はBASICプログラムのソフトウェアから安価なカラーディスプレイを3枚の基盤から製作する電子工作の上級編まで幅広い。当時のパソコンマニアの初心者から上級者まで対象にした雑誌であった。現代だとChatGPTのAPIをもとにシェル・コマンドレベルでAIと対話するアプリを自作するくらいが標準レベルだろうか。
21世紀の現代人が1980年前後のパソコン・マニアと聞いて想像するより、はるかに機械マニア臭が強い。システム・ソフトの記事にはCPU毎の機械語についての基礎的な素養が必要なアセンブラでプログラムを制作するものがある。
1980年前後にパソコン・マニアと自覚していた人達のほとんどはBASIC言語で記述されたゲームのプログラムをパソコン雑誌に掲載されたのを目で追いながらキーボードを叩き入力していたレベルだった。
名指しの役割りが必要な我々の社会: Naming and Necessity
このところ流行の AI の前に やっぱりアルファベットの A でおわる二文字の略語が はやったことがあったのを覚えているのはもう高齢者だけでしょうか?
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OA
OA新世代
今はコンピュータ産業から撤退してしまった大企業の広告にありました。この文字が。これも上のキーボードで、OA が先じゃなく、AI ができてから、オフィスのオートメーションが完成するんですよね。AI → OA。オフィスの効率化、スピードアップを宣伝したい気持が出た OA という言葉。いまAI が生成AI として実用化しはじめた今こそ実現させる……
50年くらい前の大衆社会で「電算」という略称で呼ばれていた 電子計算機にまつわる東京都の区議会でのエピソードを紹介します。 現在のあなたから見ての感想をどうぞ。 クリックしてください!
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これらのネーミングは1972年暮れから、1976年初めにかけて
共立出版から雑誌bitに「計算機莫迦話」として連載された読み物に登場する。
プログラマー養成費
区議会予算特別委員会の議場でのこと。保守系の議員(62)が質問した。
「プログラマー養成費という項目があるが、
これについて区長におうかがいしたい。
私は、プロということばも、グラマーということばも知っておる。
だが、どうしてプロのグラマーを区の経費で養成しなければならんのか。
ここのとこを御説明願いたい。」
板橋区での実話。
現代なら区議会の議事録はウェブで公開されているが、当時のは公開されていない。
英語の授業なら、r と l の発音の間違いでわかることだが、
区議が間違えてるのは、ネイティブ英語ではglamor です、などと説明しても白ける。
区長はどんな風に説明したのでしょうか?
みなさんならどうします?
検索システムにより松山市議会の議事録をさがすと5件ヒット(平成16年〜平成25年)しました。
そのほとんどがプログラマーの人件費についてでした。
昭和40年代のプログラマーといえば
メーカー毎に異なる仕様の大型電子計算機のプログラムを書く職業を指しており、
特殊な知識を習得するための養成期間が必要だったのが,
平成になってからは
米国マイクロソフト社のオペレーティングシステムのプログラム開発環境が
ほぼ標準化され、「プログラマーとして必要な知識技術の水準」が認知された社会になり
職業としてのプログラマーが社会に浸透したと言えるでしょうか。
1970年代半ばから50年ほど経過すると議会の様子もかわります。
板橋区の名誉回復の意味もこめて平成18年の板橋区議会での区長への質問はこんな風です。
「2つ目は、就労移行支援のサービスとして、ITに関する技術の習得などを通じて、障がい者の自立と就労を進めてはどうかと提案いたします。「障がい者を納税者に」という言葉をスローガンとして掲げ、IT講習で就労の実績を上げている社会福祉法人の実績も注目されています。パソコン基礎、インターネット、グラフィック初級・中級、ホームページ作成、プログラミング、ネットワーク管理者講座などを実施し、グラフィックデザイナー、プログラマー、絵本作家も誕生し、多くの人が職を得て施設や自宅のベッドの上で明るく働いていると言われています。以上、2つの提案に対して区長の見解を求めます。」これは障害者が真に就労するための提案のひとつでした。
【課題】
選挙の予想にコンピュータを使い始めたのはいつごろでしょうか?
アメリカで?
答を AI にたずねてみましょう。
参考図書
ENCYCLOPEDIA ASCII Volume 2, アスキー出版, 1979/4, 第1版2刷.
Saul A. Kripke, Naming and Necessity, Basil Blackwell and Harvard University Press, 1980.
ソール A. クリプキ, 八木沢 敬, 野家啓一 訳, 名指しと必然性 様相の形而上学と心身問題, 産業図書、 2015.
紀華彦, 計算機科学の発想, 日本評論社, 1981.
現代用語・20世紀事典・[言葉から読む20世紀の解体新書], 現代用語の基礎知識1998年版別冊付録, 自由国民社.