はじめに
Windows95が発売され、インターネットが世の中に静かに広がりはじめた頃、私はちょうど大学生になったばかりだった。
そして入学と同時に、世の中は「就職氷河期」へと突入する。努力すれば報われるという前提が揺らぎ、明日を描くことが難しいと言われた世代の、まさにど真ん中に私はいた。
それでも、目の前にはもう一つの新しい世界が広がりつつあった。
電話回線特有の「ピービョンビョン音」とともに、自分と世界がつながる感覚を初めて味わい、ドキドキしながらチャットをし、ホームページを眺め、やがて自分でも作るようになっていった。
不安定な時代の只中で、私たちは確かに何かを紡いでいたのだ。
あれから、大学に入学してからもうすぐ30年が経とうとしている今、私は気づく。あのとき感じた高揚感や、誰かとつながる楽しさは、実は今も私の仕事の中に息づいている。
社会は変わった。技術も進化した。
けれど、画面の向こうで人と出会い、言葉を交わし、誰かのために手を動かすという営みは、意外なほど変わっていない。
これから、氷河期世代として過ごした学生時代、そしてインターネットという社会変革の只中で見つけた「変わらないもの」に、静かに触れてみたいと思う。
【チャットとHPの頃、そして“仕事”の原型】
夜11時を過ぎると、私はパソコンの前に座った。
その習慣の始まりには、Kという友人の存在があった。
彼がいなければ、私はインターネットに接続することすらできなかっただろう。設定の仕方も、回線の知識も、何も分からなかった私にとって、Kはネットの世界への案内人だった。同年代でありながら、彼はすでにインターネットの空気を理解していて、その背中を追うように、私は画面の向こう側へ踏み出していった。
私がインターネットに触れ始めたのは1996年頃。
ISDN回線を使い、自宅からダイヤルアップ接続していた。夜更かしが当たり前になった大きな理由の一つが、「テレホーダイ」というサービスだった。
テレホーダイとは、23時から翌朝8時までの間、あらかじめ指定した2つまでの電話番号への通話料金が定額になる仕組みである。もともとはパソコン通信向けのサービスだったが、インターネットの普及とともに、ISP(インターネットサービスプロバイダ)のアクセスポイントへ接続するための“生命線”となっていった。
当時のダイヤルアップ接続は、接続時間に比例して電話料金が加算される。今のスマートフォンでパケット定額に入らず、動画を際限なく再生するようなものだ。気づけば請求額は、簡単に想像を超えてしまう。
だからこそ、夜11時からのテレホーダイの時間帯は、私たちにとってほとんど唯一の“安全地帯”だった。
1996年には、ISDN回線にも対応したテレホーダイの新プランが登場する。その結果、夜11時になると全国で一斉に回線が混み合い、なかなか接続できないという現象が頻発した。この時間帯は、いつしか「テレホタイム」と呼ばれ、ネットを使う者たちの間では一種の風物詩のようになっていった。
ようやくつながった回線の先には、チャットの世界があった。
顔も知らない誰かと、夜中まで言葉を交わす。冗談を言い合い、ときには将来への不安を打ち明ける。文字だけのやり取りなのに、不思議と孤独は薄れていった。
同時に、私はホームページ作りにも夢中になっていった。
どう構成すれば伝わるのか、どんな言葉なら誤解されないのか、見やすさはどうか。試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ「伝える」という行為にのめり込んでいった。
振り返れば、この頃の体験は、今の仕事の原型そのものだった。
人の話を受け取り、整理し、相手に届く形にする。インターネットは道具にすぎないが、その奥にある人の感情や関係性は、当時も今も、何ひとつ変わっていない。
【社会人として、あの頃の自分と再会する】
チャットやホームページに没頭していたあの頃、私はそれが将来の自分につながるとは思ってもいなかった。
ただ、誰かと話したかった。伝えたかった。画面の向こうにいる「誰か」を、少しでも近くに感じたかった。それだけだった。
社会人になり、立場や役割が変わった今、ふとした瞬間に、学生時代の自分と再会することがある。
誰かの話を聞き、言葉にならない思いをくみ取り、状況を整理し、別の誰かへと橋渡しする。
その一つひとつの作業は、あの頃、チャットの文字列を追い、ホームページの構成を考えていた時間と、似ている部分がある。
結局のところ、私は昔から変わっていないのだと思う。
人とつながることが好きで、言葉や行動を通して関係を編み直すことに、静かな喜びを感じてきた。
技術は進化し、使う道具やスピードは桁違いになった。それでも、やっていることの本質は変わらない。
インターネットは、情報を届けるための道具であると同時に、人と人の間に橋を架ける装置でもあった。
そして気づけば、私は今も同じ役割を担っている。画面の向こうか、目の前かという違いはあっても、人と人の間に立ち、声をつなぐ仕事をしている。
学生時代、ネットの世界で感じた高揚感や連帯感は、決して過去の思い出ではない。
それは形を変え、深度を増し、今の私の仕事の中で生き続けている。
あの頃の私は、まだ言葉を知らなかった。
だが確かに、変革を望み、今と同じ強さで胸の奥にあった。
社会人として歩きながら、私は何度も、あの頃の自分に立ち返っている。
【リンクし続ける心】
就職氷河期と呼ばれた、あの凍った時代。
未来は白く霞み、進む先が見えないまま、私たちは学生時代を過ごしていた。
けれど振り返ってみれば、その氷の下では、確かに水が流れていた。
誰かとつながりたいという思いが、静かに、しかし確実に。
夜更け、電話回線の向こうから聞こえてくる「ピービョンビョン音」は、
世界が開く合図だった。
そこには顔も知らない誰かの声があり、言葉があり、温度があった。
不安な時代にあって、私たちは本能的に“リンク”を求めていたのだと思う。
あの頃、交わした何気ない会話や、画面に打ち込んだ時間は、私を成長させた。
直接役に立ったかどうかは分からない。
けれど確実に、私の歩き方を決めてきた。
時代は変わった。
通信速度は加速し、世界は指先ひとつで呼び出せるようになった。
それでも、人が人の声を求めること、
誰かに分かってほしいと願う気持ちは、少しも変わっていない。
これからも、技術は更新され続けるだろう。
だが私は、その中で変わらないものに耳を澄ませていたい。
人と人のあいだに生まれる、かすかな揺れや、言葉になる前の思いを拾い上げ、
形を創り上げ、そっと次へと手渡していく。
リンクは切れない。
形を変えながら、速度を変えながら、心は今日もどこかとつながっている。
あの1996年の夜から続く回線は、今も、私の中で静かに生きている。