おもに住んでいるところの近くや時折出かける場所にちなんだところなどを紹介したい。
「総鎮守八幡神社ご由緒」には下記のように書かれている。
養老元年は、ユリウス暦717年にあたる。奈良時代である。この年の4月23日には僧行基の布教活動が禁圧されたという記録が残った年でもある。
ここに出てくる年号の改元と日付について調べると。続日本紀によれば養老8年2月4日に、白亀出現の瑞祥により神亀と改元されたとある。
万葉集の第10巻2178番にある歌妻隠 矢野神山 露霜尓 々寶比始 散巻惜
の「矢野神山」がこの八幡神社の地を名山として柿本人麻呂が詠んだものといわれている。この矢野神山を伊予国宇和郡八幡浜浦八幡宮と比定した根拠については、ご由緒に解説がのっているが、ここでは省略する。
全国に八幡さまは、何万もある。そのなかでもこの八幡浜市の八幡神社は4番目に古いもので全国に誇る由緒ある名山旧跡であることが「総鎮守八幡神社ご由緒」では強調されている。
西暦8世紀前半に編集された地誌『伊予国風土記』に「天山」の名前がある。天山町内会は、この天山神社と天香久山の関連で、ずいぶん以前から奈良県と交流がある。筆者もはじめて聞いたときは、あの有名な天香久山と四国のいなかにある天山との関係がそれこそ天と地ほどの格差があるようにおもえて不思議であった。